2025年8月7日
ご安全に!
2025年6月某日、当社設計部のベテラン設計者と若手設計者による勉強会を開催しました。35年にわたるキャリアの話から顧客との信頼関係の築き方、若手への期待など、話題は尽きることなく学びの多い時間となりました。その模様をレポートします。
[語り手]写真中央 檜垣 茂雄(設計部 建築設計室 室長)。1992年1月、新日本製鉄入社、2006年から日鉄エンジニアリングに在籍。35年間に手がけた実プロジェクトは、工場、大型物流施設を中心におよそ50件に上る。
[聞き手]左から、望月 要佑(入社8年目 設計部 建築設備室)、齋藤 さくら(入社4年目 設計部 建築設計室)、大髙 航平(入社5年目 技術部 生産プロセス改革室)、中 建一朗(入社8年目 設計部 建築設計室)
編集部:檜垣さんは新日鉄(現・日本製鉄)と当社で約35年の豊富なキャリアがあり、現在は建築設計室長として若手の指導育成にも尽力されています。経歴を詳しくご紹介いただけますか。
檜垣室長: 1992年、29歳の時に中途入社で新日本製鐵に入社しました。もともとは原子力関係の会社で研究施設などの設計、施工を発注する立場だったんですが、ものを作る側になりたくて、新日鉄で設計者としてのキャリアをスタートさせました。主に工場・倉庫といった産業施設の設計・監理業務を担当し、初めての仕事は当時開発されたばかりのシステム建築「スタンパッケージV4」を採用した工場の設計でした。
45歳からは日鉄エンジに在籍し、難度の高い大型物流施設プロジェクトに次々と関わることができ、物流施設計画の技術ノウハウが磨かれていったように思います。その間、ANKの格納庫(函館、丘珠)のプロジェクトにも従事しました。2014年(52歳)、当時の組織を挙げて取り組んだ「総合建築再生プラン」の主担当として参画し、組織統括の経験も積ませてもらいました。基本的には設計畑をずっと進んできまして現在63歳。入社してから担当した建物の総面積は累計139万平米、東京ドーム30個分にもなっていました。今年1月からは建築設計室長になりまして、室のマネージメントを司る立場にあります。
編集部:東京ドーム30個分とはすごい数字です。特に印象に残っているプロジェクトというと何ですか。
檜垣:1998年から2012年まで約15年間に渡り、佐川急便様の配送センターの設計・監理を担当させていただいたことです。最初のプロジェクトで顧客のキーマンに当社の設計・施工のパフォーマンスの高さを評価していただき、以降、継続的にご発注いただくことができました。後の大型物流施設の設計につながるノウハウは、ここでの経験から習得したと言っても過言ではありません。お客様と非常に良い関係を築けたという意味でも、設計者冥利に尽きる仕事をさせてもらいました。もう1つ挙げるとすれば、中国・深圳での仕事も思い出深いプロジェクトでしたね。
編集部:深圳ではどのような仕事をされたのですか。
檜垣:新日鉄に入社して3年目の年です。当時の富士ゼロックス様が深圳にプリンターの工場を建設するということで、初めて海外での総合建築工事をPA(Project Architect:設計者)として担当しました。中国語も英語も話せないにも関わらず、2週間後に中国へ行くようにと突然指令を受け、まさに青天の霹靂だったんですが、当時、鉄構部隊が香港事務所を構えており、そこまで、竹内さん(当時海外鉄構部)に連れて行ってもらいました。足掛け5年、工期にして4期に渡りプロジェクトを担当しました。初めての海外工事で何もかも手探り状態の中、現地の法律や手順、中国の方々との仕事の進め方などを学んだ貴重な経験でした。
編集部:海外工事では苦労もありましたか。
檜垣:不慣れだったこともあり、現地駐在の顧客(中国現地法人の社長)から「役に立たない。もう帰れ!」と言われたこともありましたね。非常に厳しい方だったんです。でもさすがに帰るわけにもいきませんので、頑張るしかありません。そのうち段々と認めてもらえるようになりましたが、現場で働く中国の方とは文化も仕事の進め方も違っていて、工期が遅れそうになることもしょっちゅう。スケジュール通りに進めていくのは大変でしたね。
編集部:そうした経験はその後のキャリアにどのように活かされましたか。
檜垣:度胸がついたことでしょうか。ちょっとやそっとのことでは動じない忍耐力は身につきましたね。振り返ってみれば、産業施設を多く担当させてもらい、たまたま厳しいお客様が多かった。中には、初回の打ち合わせで、客先の担当者が怒り出していきなり机をドーンと叩いたこともありましたから。どうやって認めてもらえるようになったかといえば、設計者というのは、どんな難題を要求されても受け止めてできる限り応える、そしてお客様にしっかり説明できることが重要だと思うんです。そうした姿勢を示すことで、お客さんに設計者として認めていただくことができたと思います。
中 建一朗:初めて取り組むプロジェクトで、技術的な課題やコミュニケーション面での難しさを感じる場面があった場合、檜垣さんはどのようなことを心がけていらっしゃいますか?
檜垣:当たり前のことですが、どんな厳しく苦労しそうなお客様であっても「逃げないこと」です。お客様の立場になって、お客様の目線でどうしたら解決できるのかを優先して考えることを大事にしています。
中:若手設計者の場合、まだ経験が浅いこともあるかと思います。これまでの経験にない新たな課題に直面した際に、どのように対応するのが良いのでしょうか?
檜垣:1つ1つプロジェクトを重ねるなかで、事例研究を重ねたり、先輩に教えてもらったりしながら知識と経験値を増やす。それを次に活かすということをひたすら積み重ねるしかないんだと思います。佐川急便様の東雲のプロジェクトでは、5階建ての建物で、倉庫部分が3層になっており、その3層にわたって、マテハンの仕分けコンベアが複雑に重なりあって走るという施設でした。その架台を建築で設計するのですが、今であれば3次元のCADやBIMで干渉チェックもできたと思いますが、当時は、それを2次元で読み解いて図面化するという非常に難易度の高い設計で、人任せではなく、自分がきちんと理解しないと収束しない場面が多々ありました。この時も、他の施設を見せてもらったり、マテハン設備の担当者から設備の機能や計画の意図等を徹底的にヒアリングし、とにかくお客様が何を求めているかをよく聞いて取り組みましたね。この時の経験は、その後他の物流施設でマテハン設備に取り組む際に大変役立っています。
編集部:檜垣さんが設計者としてやりがいを感じる時はどのような時でしょうか。
檜垣:新たなプロジェクトでもまた声をかけてもらえて、仕事が続いていくことでしょうね。「自分が認められた」と実感でき、最もやりがいを感じる時ではないでしょうか。お客様からは、「手堅い」ことや「任せておいて安心」という言葉で私の印象を伺うので、設計者としての自分の持ち味はそういうところなのかなと。繰り返しになりますが、設計者たるもの、何を聞かれても自分の言葉で説明できるようにと、その点はこだわってきましたから。
お客様の会社の規模が大きいほど、相手のポテンシャルも高くなっていきます。厳しいお客様にあたったからこそ鍛えられ、経験を積むことができたともいえますよね。そして、一度良い関係になれば頼られ何でも相談していただけます。お客様の前で堂々と話せるようになるには、経験豊富さが武器になることは確かです。他の人が担当した案件を積極的に見に行くとか、他の人の図面を見るとかも学び・経験となるので、とにかく経験値を増やすことを心がけてほしいと思います。
編集部:手がけた建築物のなかで特に思い入れのあるものはありますか?
檜垣:2024年9月末に竣工した大型物流施設「MFLP・LOGIFRONT東京板橋」は、諸々の取り組みについて社内外から非常に高い評価を得た建物です。物流施設というと、昔は機能性を重視した四角い建物が多かったんですが、この建築物は、デザイナーの指示で外装のサンドイッチパネル部分にアール形状を多用するなど過去に経験のないことにたくさん挑戦しています。長年やってきても挑戦はずっと続いていくものです。
中:設計・施工を当社が請け負った「MFIP羽田」(物流機能を含む複合用途施設)もデザイン性の高い建物でした。
檜垣:羽田案件の建設場所は、首都高速1号羽田線および羽田空港から至近の距離に位置しています。外観面でデザイン性の高い外壁パネルを採用しましたが、風切り音(空気の流れにより発生する騒音)がうるさくならないか、高速道路を走る車から見て外壁パネルが反射してまぶしくならないか、台風でもパネルが飛んでいかないかなど、様々な観点で検証を行い、ました。デザイン・立地条件が特殊だったので、社内でも有識者を集めて外装設計のWGを組成し、普段なら想定しないことも考慮して望みましたね。
編集部:設計者として檜垣さんが一番大事にしてきたことはどんなことでしょうか。
檜垣:設計者は「代理者である」という意識を持つことですね。建築基準法上も代理者であるわけですが、自社の利益を追求しつつも、お客様の立場から見て満足できる建物になっていなければならない。また、品質を守ることも大事な役目なんですね。会社での立場とバランスを取る・折り合いをつけるという点が難しさでもあるのですが。代理者であるという意識を持ち続けるということでしょうか。
大髙 航平:おおよその予算が決められている中でお客様から様々な要望があった場合、変更や折衷案の提案など、解決方法はいろいろあると思うのですが、檜垣さんはどのように進められているのですか。
檜垣:ベストアンサーではなくても「このようにしたらできます」と説得を試みます。昔はよく「打ち合わせをしたら宿題を持って帰らない仕事をしなさい」と先輩から言われたものです。ただ自分は必ずしもそうでなくていいと思っています。簡単なことならその場で済ませるとしても、状況によっては持ち帰ってじっくり考えることも必要です。
大髙:これ以上は引き下がらないというという線引きはどのように設定すべきでしょうか。以前、自分はいけると思って進めていたものを他の人が確認した時に、これだとダメじゃないかという話になり、自分の未熟さで周りの人に余計な作業を増やしてしまった、迷惑をかけてしまったと反省したことがありました。しっかり見極めできるようになるには、やはり経験が必要なのでしょうか。
檜垣:構造は正直ですよね。構造に問題があると、建物が壊れることに繋がります。構造部分は譲れないという姿勢でいいんじゃないでしょうか。ただ、自分は無理だと判断しても、現場に聞いたらできるということもあるんです。自分だけでは決められないことも多いですね。
編集部:ご自身の仕事のスタイルを振り返って、時代ともに変わってきたことはありますか。
檜垣:まあよく言われるのが「檜垣さんみたいになりたくない」と(笑)。やはり昭和気質というのか、昔のままのがむしゃらな働き方では、若い人たちについてきてもらえないとは思っています。今の時代は、設計者の仕事の一部を外注することが常だと思います。それで良いのですが、緊急時に対応できるように、自分で考え自分でできるようしておくことは大切です。
中:設計者として十分、一人立ちできたと檜垣さんが実感されたのは何歳ぐらいの時でしょうか。
檜垣:新日鐵に転職して10年後、40歳前後ぐらいからです。
編集部:当社の設計における強みについて伺いたいのですが、檜垣さんはどんなところだと思いますか。
檜垣:近年、物流施設についてはかなり案件数が多いのですが、本来当社の強みは産業建築だと思っています。組織の出自も製鉄所というところからなので、ここに関しては、ノウハウ・知識の面での蓄積は多く、きちんと継承し、競合他社に対してアドバンテージを取れるようにすべき部分です。建築設計だけでなく設備設備の要素も多様で、奥が深いので、工場案件がもう少し増えていくといいなと思っていますね。
中:技術力を強みとする当社の一員として、私自身も産業建築に積極的に取り組み、さらに経験を積んでいきたいと考えています。
檜垣:1つのプロジェクトごとに挑戦はできると思いますが、物流以外にもエンジニアリング力を発揮できる場を求めていきたいですね。
編集部:ベテランの立場から、若手設計者に伝えておきたいことは何ですか?
檜垣:建物を作るとき、設計者が図面を描かなければ何も始まりません。お客様とのコミュニケーションにおいても、設計者が中心的な役割を果たせると思うんです。だからこそPAであれ、設計者であれ、さまざまな目線からものを考えることが大事です。自分がこうしたいという視点を持ちつつも、客観的な視点で合理性があるかどうかにも目を配ると言いますか。色々な視点を持っていることが強みになると思います。経験=説得力になるので、忙しい中でも時間を作って現場や図面を1つでも多く見る機会を増やしていくといいと思います。
望月 要佑:今はBIMで様々な検討が可能となり設計者自身が手を動かさなくても済む場面も多くなっていますが。これだけは身につけておくべきという技術があれば教えてください。
檜垣:標準化、平準化も大事だけれど、オンスケールでものを考えるという感覚は持っておいてほしいですね。検査設備の解析などもそうなんですが、自分で数字の意味を理解するとか、感覚を見つけるということは設計者として有効だと思います。今の時代は人が少ない中で外注に頼らざるを得ない部分もあるのですが、会社の中にも技術を継承し残していかなければいけません。
編集部:若手の皆さんはいかがでしょう。檜垣さんのお話から印象に残った言葉、参考にしたい取り組みなども多々あったのではないでしょうか。
齋藤 さくら:長く設計畑を歩んでこられた檜垣さんでも、いまだに初めての業務に向き合い、挑戦し続けているというお話が印象的でした。常に勉強し、吸収し続ける姿勢。それが次の設計の仕事に活きてくるということですよね。若手設計者としても新しい技術や業務に挑戦し続ける雰囲気作りができたらいいなと思いました。
望月:仕事がいっぱいいっぱいで余裕がない時は、これ以上仕事を増やしたくないと思ってしまうことがあります。現場や顧客からの要望に対して、これ以上はやってもあまり意味がないという方向に促してしまったこともありました。檜垣さんのキャリアをお聞きしてこれからは意識を変えて取り組んでいきたいと思えました。ありがとうございました。
中:今日はありがとうございました。先ほど話題に上がった「檜垣さんのようになりたくない」という声についてですが、お客様の高いご要望に応え続け、長年にわたり信頼を築いてこられた檜垣さんの実績をみて、「自分はそこまで到達できるかわからない」という不安の意味合いなのではないかと受け止めています。「檜垣さんがそういうなら」とお客様に感じていただけるその信頼感こそが、檜垣さんが築かれてきた大きな強みであり、多くのお客様に支持され続ける理由の一つだと思います。私は現在31歳ですが、これからさらに成長を重ね、檜垣さんのようにお客様から信頼される設計者になるために、どのような努力や工夫が必要なのかを学び、挑戦を続けていきたいと考えています。
檜垣:新日鐵に転職したのが29歳。中途入社で同期もいない中、ちゃんとやらなくてはいけないという思いがありました。入社当時最初に担当した案件ではクレーン設備、機械基礎、メッキ工場、塗装工程など様々な工場設計の要素を学ぶ機会があり、上司に相談しながら一生懸命取り組みました。実力不足だったとしても、仕事をどんどん回すしかなかったんです。中途入社という立場から、弱みを見せないようにちゃんとやらなければという意識はとても強かった。その積み重ねが今に繋がっているんでしょうね。
編集部:最後に若手に一言お願いします。
檜垣:設計者は「自分で考える」ことが大切です。設計者としてだけでなく、PA目線やお客様目線など複数の視点から、モノを見て考えることが重要です。若手のうちは周りの経験も自分のものにするよう心がけていくと、より成長していけるでしょう。今、私は室長として皆さんの話を聞くことが仕事です。困った時には先輩がいます。私もいつでも相談に乗ります。どんなことも拒みませんから、いつでも話をしにきてください。
編集部:皆様、本日はお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。